やはり好転反応が。。3人とも具合わるいぃ。。。
でもですね、お小水がすごく出る。ミリオン行く度に尿の出が良くなる。身体が緩む。
病気って緊張してると起きるのかもしれません。
いかに緩めるかにかかってるかも。緩めるというのは筋肉やその他を使わないという事ではなく、
使って緩めるの繰り返しがうまく働いているかどうかじゃないかと思うのです。
私の背骨は左に曲がっています。昔は曲がっていなかったのですが、先日離脱最中に撮った写真を見てみたら、しっかり曲がっていました。(撮った当初は頭ぐらぐらで考える余裕がなかったのです)そういえば去年のレントゲン検査でも曲がっていて気にはなっていたのですがすっかり忘れてました。
で、ミリオンの尾曲先生に聞いてみたとこ、やっぱり左に曲がってる診断されました。歩きづらいのもそのせいもあると。治すのは難しいらしいが、元々でないなら治したい。
で、色々検索してみた。
側弯症というのだそうだが治せるようだ。
それによるとやはり筋肉を弛緩させながら鍛える、覚えさす、癖を直すということが共通している。
固い筋肉は死んだも同然らしい。役に立っている状態ではないそうだ。
私は左に曲がっているので、右の筋肉の力が強すぎる、あるいは左が弱すぎる状態。
それは今まさに自分で嫌というほど感じている。
力を入れやすい、もしくは力を入れてないつもりでも気がつくと入っている程、右が緊張している。意識をしても抜けないときもある。
気がつくと肩に力が入ってるのだ。
力が入ってる状態のとき、血管は収縮し、血の巡りは悪くなる。
交感神経は部分的にも働いてるようですね。
血の巡りが悪い状態が続くとそこは病気になりやすくなる。だから、
「癖」
これをいかにして治すかにかかっている。
考え方の癖も同様だ。
考え方は行動に繋がるので、今私の頭は大改革をしている。
脳の神経は使えば太くなり、通りやすくなる。
だから癖になっている事は、ちょっとした弾みですくその考えになりやすいし、
その動作になりやすい。
意識して止めるほかない。
これはかなり大変な事に感じる。
でも、やらなきゃ病気は治らないし、仕事もできるようにはならない。
そう、何か上達したいときと同じ。
今の状態を客観的に判断して、方向性を決めて実行する。
言うのは簡単、行うは難しだけど、結構楽しいかもしれないと思ってる。
ミリオンの療法も筋肉の弛緩が主だと思う。
先日、高速道路のパーキングで景色を眺めていたときに、
まだこの景色の半分しか見ていないと自分で解った。
目が開いていても情報が脳にインプットされるとは限らないのだ。
昔写真を撮られてるときに、目がカメラを見てるはずなのにずれていたのもこれと関係が深いと思われる。
私はずっと絵を描く人間にも関わらず、覚えられない?のが不思議に感じていた。
覚えられないより先に、情報がうまく脳に伝わってなかったと先日はっきりわかったんだ。
その状態でよく描いていたと我ながらすごいと思うけどね。
描ける人間と描けない人間。その違いは才能だけではないのです。
熟練によるコツもしかり、才能もしかり、努力もしかり、そして今回わかった身体との関係。
専門的な話になるが、原画作業のときに最初にレイアウトというものを描く。
背景と人物などを一緒に描いて、こういうカットになるというものの原型だ。
そこには空間の把握能力の違いができの善し悪しに左右してくる。
学校の美術などで習う空間のとらえ方があって、透視法などがよく使われる。
アニメーションの世界でも先輩に習うとこれが必ず出てくる。
しかし私は先にパースを取って描くとどうもおかしいと感じていた。
広がりがなく、すごく固い絵になるのだ。しかも直される。ちゃんと計って描いてるはずなのに。
で、あるとき自分なりのやり方に変えてみた。
まずコンテを見て、頭の中でシーンを想像する。
その想像した物をそのまま紙面に出す感じ。
そのときは消失点などパースは無視して描く。
そうして描き出された絵は、パースを無視して描いてるはずなのに不思議とパースが合っていたりするのですね。
そのやり方をするようになってからは、パースで書き直されたりすることがほとんど無くなりました。原画の初期の頃は部屋の中などが多い作品をしていたので、余計に悩んだりしていたのです。
こうして言葉にするとその絵の違いはわからないとは思いますが、まったく違う絵になるんですね。
いや、もしかしたらパースの取り方にコツがあって、私はそれがわからなかっただけかもしれないですけど。
主人とこの話をしたときは受け入れてもらえなかったしなあ。
しっかりそれがいいとは証明はできないですけど。はい。すいません。
でも自分でそうおもうんだもん。いつか証明してやるー!
でね、物差しではかるより、目分量の方がきっちりしていたりするじゃないですか。
何故そうできるのかはわからないですが、でも通常で考えるより遥かに脳はすごくて
私たちはまったく使用してないかもしれないと思える場面がたくさんあってね。
証明とかになると難しいけど、そんな感じがすごくして、
この身体の不都合を消化したとき、この何年間の苦労など吹き飛んでしまうかもしれないほどの
恩恵を受ける気が最近してきました。
私がアニメーターとしてやっていく上であきらめてきた数々の事。
それももしかしたら解決できていく足がかりになるかもしれないと最近思っています。